彷徨(KWAIDAN)第九話 全十七話

彷徨(KWAIDAN)第九話 全十七話

[八月十日]

 市販されているゴミ処理用のバクテリアとは比較にならない程の分解力を持つ微生物を発見。業務用の生ゴミ処理機を使うと悪臭も酷く完全に土になるまで最低五日はかかる。しかしこの新種のバクテリアを使用すると僅か二日間で骨まで消失。しかも土に混合するのみ。このバクテリアにミクロガンーZと命名。直ぐにも学会や論文で発表しようとしたがもう少し実験とデータが必要だと考え延期。さらに研究を続ける。

[八月二十日]

 当初、猫や犬を使用。しかし人体での研究を決意。

[八月二十五日]

 大学での教授のアシストも多忙を極める。今後の研究を考え現在のアパートから移転する。大学まで車で十分、家のドアに車が横付けできる古い一軒家を借りる。周りに住居なし。

[九月一日]

 いよいよ決行。どこにでもありそうな目立たない色、形の中古ワゴン車を購入。八王子から高速を使って四時間ぐらいの山梨の片田舎に赴き被験者を物色。下校途中の七歳ぐらいの女児の脇に車を付け、車の影でフェンサイクリジン系のケタミンを無針注射器で斜角筋の筋肉の間に投与。数秒で昏睡状態に陥る。後ろの車両に寝かせる。そのまま直ぐに借家へ帰宅。女児の衣服を脱がせ身長と体重を量る。身長115cm、体重21kg。三時間二十五分でケタミンが切れ、女児、目醒める。女児が怖がり大声を出しそうになったので馬乗りになり絞殺。この時は激しい興奮を憶える。刺殺も考えたが出血すると後の実験に手間が掛かり、しかも腐敗臭がし始めるので予め絞殺を選択。実験は被験者の血液が凝固するのを待って後日に持ち越す。被験者は裸のままベッドに寝かせ私も隣で就寝。

[九月二日]

 朝から夕方まで大学の研究室。研究室では今日も教授の実験を手伝う。この愚かな教授をヘルプするのはいい加減食傷ぎみ。帰宅してカップ麺で夕食を済ませ、奥の四畳半の部屋で実験開始。一週間前に日曜雑貨店で幼児が入る程の大きさの植木鉢を購入。その底に適量の土を入れる。ミクロガンーZを土の上に撒布。土は観葉植物に使われる一般の培養土を使用。次に被験者を鉢に入れる。喉から下腹部に掛けてメスで深く切開。また大腿部付近から脛に掛けて切開。もう一方の脚も同様に切開。これはミクロガンーZを体内に効率良く取り入れ細胞の分解を早めるための処置。一日置いたため切開するも出血は少量。ミクロガンーZを被験者の全身に撒布、さらに培養土を被験者の体に被せた。

[九月三日]

 腐敗臭は殆どせず。植木鉢に被せていたプラスチック製の蓋を取り分解の進行を調べる。骨以外はほぼ分解。培養土の温度は20度。低温で分解が進んでいるので殆ど無臭。バクテリアの発酵順調。

[九月四日]

 再び蓋を取り土を完全に掘り起こす。被験者の体は完全に消失。頭蓋骨および大腿骨も消失。実験成功。被験者の衣服は裏にあったドラム缶で焼却。ミクロガンーZは細胞まで破壊することはすでに検証済み。しかし血液が土に付着するとルミノール反応が起こる可能性があるため廃棄処理が必要。警察要注意!

[九月六日]

 借家から車で一時間走らせた位置にある奥多摩の渓谷を探索。さらに麓から車で十分程走った上流に絶好の場所を見つける。山道からは樹木で河原が見えず廃棄場所に最適。

[九月七日]

 今日は、渓谷の駅まで電車で向かう。電車は青梅線に乗って一時間で最寄りの駅に到着。昨日のポイントまで麓から徒歩で向かう。敢えて車は使用せず登山客を装う。ハイキングの服装で土の入ったリュックを背負う。土の重さは4kg。麓のコンビニでお茶とお弁当を購入。リュックに入れても適度な重さ。一時間半で目的地に到着。山道から河原に下りて、川に土を廃棄。自信を深める。翌週二度目の実験を予定。

             *

「お母さん、今度の私のお誕生日にお友だち呼んでいい?」

 パートに出掛ける準備をしている香苗は母に気を遣ってこう尋ねていた。

 香苗は頭も良く活発な子でクラスの同級生からも人気があった。つぶらな瞳と小さな顔の造りが可愛らしく、男の子たちも香苗に好意を寄せていた。だから香苗はいつも同級生のお誕生日会に呼ばれ、香苗は同級生たちから家でお誕生日会をやらないのかどうか聞かれていた。

 自分の家にそんな余裕がないことは小学二年生でも良く分かっていたが、香苗はそれを承知で母に聞いてみた。

「そうだね。呼んでもいいけど大したことできないよ」

「いいよ。みんなでお家で遊ぶだけだから」

「それならいいけどね……」

 母の八重子は夫と死別してもう三年になる。兄の真人と香苗には色々我慢をさせて来た。夫の残してくれた保険金だけではとても足りず、母は毎日、回転寿司のスタッフとしてパートに出掛けていた。

 息子の真人はたまに我が儘を言って母を困らせたが、娘の香苗は自分の娘かと思う程聞き分けが良かった。ここ数年、子供たちには誕生日らしいことをしてあげなかった。

 香苗は親戚からもらった古いウサギのぬいぐるみと玩具でねだり事一つ言わずに遊んでいる。毎週見る少女戦士のテレビ番組で玩具のコマーシャルをしていると香苗はいつも目が釘付けだったが、それでも欲しいと言ったことはなかった。

「香苗、じゃ今度の日曜日、香苗のお誕生日パーティー開こう!」

「お母さん、そんな無理しなくていいよ。香苗は大丈夫だから」

「任せておきなさい。友だちも呼びなさい。それで何人ぐらい来るの?」

「うん、七人ぐらいかな」

「七人か……よし、分かった」

「お母さん、本当にいいの?」

「さあ、もう学校に行きなさい」

 香苗は喜んでいたが急にまた顔が曇った。

「うん……でもお兄ちゃんが羨ましがるからやっぱりいいよ」

「お兄ちゃんの今度の誕生日にはちゃんと同じようにやってあげるから心配しなくていいよ。お兄ちゃんにもそう言うから」

「本当?……お母さん、ありがとう」

 香苗はまた嬉しそうな顔になった。

「はい、はい。じゃ、行ってらっしゃい」

 こんな小さな子が兄のことを思いやっているのを聞くと母は益々香苗が愛おしくなった。

─いい子を持った。無理をして今年は少女戦士の玩具ぐらいを買ってあげよう。

「それじゃ、行ってきまーす」

 香苗は居間にあったランドセルを背負いクマの缶バッチの付いた黄色い学童帽を被って外に飛び出して行った。

「車に気を付けなさいよ!」

「はーい」

              * 

 青年はグレーの襟付きのシャツ、グレーのズボン、黒いニット帽子とサングラスを掛けて車に乗り込んだ。

 車のナンバープレートは東京の廃車処理場から数枚盗んで来たものを強力両面テープで固定した。

 廃車処理場でプレートを盗むのは容易なことだった。隅のフェンスの網が破れて簡単に入ることができ、プレートの取り外し作業で多少音をたてようが誰にも気付かれることはなかった。

 関越自動車道に乗って前橋の少し先のインターで下り、青年の車は前日からネットで目星をつけていた小学校に向かった。下見はいつもしなかった。同じ場所に二度もうろついているとそれだけリスクは大きくなる。それに青年は決して無理をしなかった。交通量の多い道路では捕獲するにも危険が多すぎる。そんな時は目の前にターゲットがいてもきっぱりと諦めた。全てはタイミングに掛かっていた。

 車道と歩道に分かれていない狭い道路を選んでそこにウィンカーを点けながらワゴン車を停止する。二車線の道路も後続車の視界に入るので避け、専ら一車線を選んだ。

 青年は運転席から助手席に移って小さな獲物を物色し始めた。登校時は集団登校だが下校時は殆ど離ればなれで帰宅するから幼児を捕まえ易かった。五、六人で歩いて来る子、二人連れの子、一人だけの男の子と眼鏡に適う女の子は現れなかった。

 子供たちが何人も車の脇を通り抜けて行った。側溝と車の間は大人一人がやっと通れるくらいの隙間で、子供たちは一人ずつ縦に並んで歩かなければならなかった。

 獲物がようやく現れた。八歳くらいだろうか可愛らしい目をした女の子が近づいて来る。自転車に乗った四十代の主婦がワゴン車の後から運転席側を通り越し、その女の子に声を掛けた。

「香苗ちゃん、いっぱいじゃがいもが採れたから取りにおいでってお母さんに伝えて」

 近所の農家の叔母さんが香苗に声を掛けた。

「うん、分かった。叔母さんいつもありがとう」

「ははは、香苗ちゃんはかわいいね。バイバイ」

 叔母さんは自転車であっという間に走り去って行った。

「ふふふ……おいで、おいで、僕のカナエちゃん」

 女の子が助手席のドアを通り過ぎるその瞬間、青年はタイミングを見計らってドアを開け、背後からケタミンを無針注射器で首筋に注入した。少女は数秒で意識を失った。クロロホルムを嗅がせる方法も考えたがクロロホルムには即効性がなかった。テレビや映画では瞬時にして昏倒するが実際には効果が現れるのは数分かかる。即効性が高いのはやはり皮下注入だった。そして青年が利用したのは最新技術を持って開発された画期的な無針注射器だ。それはプラスチックノズルの小さな穴からガスの高圧力で皮下に注射できる仕組みになっている。ケタミンも無針注射器も実験機材は大学院内に有り余って簡単に入手できた。青年は医学生の特権を最大限に利用していた。

丹阿弥清次

1955年生まれ。広告デザイン会社退社後、デザイン会社を起業して三十数年。卓球歴は大学以来40年の空白状態。還暦前に再挑戦。しかし奮闘努力の甲斐もなく今日も涙のボールが落ちる。

※批判的なコメントはご容赦願います。