彷徨(KWAIDAN)第十話 全十七話

彷徨(KWAIDAN)第十話 全十七話

─うーん、ここどこ?…この人誰?私の名前を知ってる。「香苗ちゃん」って呼んでる。何で私の名前、知ってるんだろう?あれ?手と脚が動かない。何かでぐるぐる巻かれてる。多分ガムテープみたい………また私の名前呼んだ。

「ねえ、おうちに帰して」

 私が頼んでもこの人笑ってるだけ。気持ち悪い。部屋に大きな植木鉢がある。知らない人、部屋から出て行った。

 また直ぐに鋏を持って近付いて来た。

「何するの?」

 私はまた聞いたけど何も答えてくれない。私の着てるシャツを破いてる。白いショートパンツもパンツも切られた。裸になった。

 この人、変!……身長、計ってる…体重計の上に植木鉢を置いて私をその中に入れた。何してるの?今度は体重を計ってるみたい。

「トイレに行きたいよ」

 おしっこしたくなったから言った。何か嫌そうな顔してる。

 だっこされてトイレに行った。凄く古いお家。トイレも古い。昔のトイレ。匂いもする。脚のテープを切ってくれたけど手はそのまんま。私はドアを閉めようしたらこの人ドアを掴んでる。私が恥ずかしいから閉めてって頼んだ。そしたら嫌な顔してやっとドアを閉めてくれた。

 逃げよう………小さな窓がある。あそこから逃げられる。私ならあの小さい窓でも逃げられる。今度の日曜日は私のお誕生日パーティーだもん。窓の音がしないようにそうっと開けた。窓は私の頭より上にあった。手を伸ばして鉄棒みたいにぶら下がって頑張って頭まで出した。少しずつよじ登って脚まで出た時、その人が笑いながら目の前に立っていた。首に何か押し付けられてまた寝ちゃった。

 次に目が覚めた時はベッドの上だった。私は裸のままだった。

 お医者さんの使う小さなナイフで私の体を撫でている……怖い…お母さん、怖いよ…涙が出て来た……この人、また笑ってる……私は大声で助けを呼んだ。

 この人私の体の上に乗って首を絞めた。笑いながら私の首を絞めてる。苦しい、苦しいよう…息ができない。頭がぼうっとして目の前が暗くなって行った。それから私はもう一生目が醒めなかった。

               *

 田村美奈の叔母が今日青森から美奈のお見合いのためにわざわざ上京して来る。

 美奈は何度も叔母の持って来た縁談を断っていたが、「私があの世に行ったら死んだあなたのお父さんとお母さんにどう申し訳すればいいの?」と電話口で泣かれて断る訳にはいかなくなってしまった。仕方なくお見合いする羽目になった。

 叔母を羽田まで迎えに行きそれから目白の某ホテルに向かった。お見合いは正午に行われ相手の家族そして紹介者と一緒に昼食を取る予定だった。

 ホテルのロビーで美奈と叔母は相手の家族と出会った。簡単に挨拶を済ませ料亭のある日本庭園に出た。

 

 料亭は庭園の外れにあって食事を取りながらお見合いは始まった。

 紹介者は美奈の叔母と同じくらいで五十歳くらいの女性だった。いかにも世話好きそうだった。相手の青年、岸川朝雄は都市銀行に勤める真面目な青年だと紹介され、美奈は六本木の高層マンションの受付をしていると紹介された。相手の両親も品があって人が良さそうだった。特に青年は誠実そうで好印象だった。

 しかし美奈は出会った瞬間にこの縁談を断ろうと思っていた。ビールとお酒を相手の父親が注文して形ばかりの乾杯をした。岸川が美奈にビールを注いだが美奈は口を付けただけだった。美奈は岸川に会ってからずっと気が重かった。目の前の岸川の左隣に女性の霊が座っていて美奈をじっと見据えていたからだった。

 見合いが始まり十分ぐらい経った頃、美奈の前にあったビールの入ったコップが勢い良く倒れ美奈の着物に掛かった。美奈はバッグの中からハンカチを取り出し直ぐに拭いたが染みが残りそうだった。隣に座っていた叔母が「あら、まあ」と叱るような口調で言った。

 美奈が自分の粗相を詫びている最中、叔母の前にあったビールのコップも突然倒れ叔母も着物を濡らしてしまった。

「あら、すみません。私まで……」

 そう言って皆に詫びていたがすべて岸川の隣に座っている霊の仕業だと美奈には分かっていた。

 料理はコースで運ばれ最後に手打ち蕎麦が出て来た。美奈が蕎麦に箸を付けようとしたその時、蕎麦が動いたような気がした。気のせいと思い箸でそっとつまむと蕎麦の中には何十匹もの細く長いミミズが蠢いていた。美奈は小さな悲鳴と共に蕎麦汁の入ったお椀をひっくり返してしまい、美奈の着物はさらに染みが増えて行った。

 岸川と両親にまた頭を下げようと前を向くと岸川の両親はミミズを美味しそうに啜っている。口元でくねくねとのたうちながら喉の奥に入って行くのを見ると美奈は吐き気がして口を押さえながら化粧室に駆け込んだ。

 今まで食した物を全て戻し、ハンカチを押さえながら洗面所の鏡の前に立つと顔色の悪い疲れた顔をした自分がいた。

 化粧室から戻るとミミズに見えた目の前の蕎麦はただの蕎麦に戻っていた。多分これもこの女の霊の仕業だと思ったが美奈はもう料理には箸を付けられなかった。

 

 昼食が終わるとお決まりのように紹介者が「後はお若い方たちだけでお散歩でも」そう促され二人はホテルの日本庭園を散歩した。

 日本文化財として有数の庭園で天気もいいし一人なら落ち着いて散歩できたかもしれないと美奈は思った。二人とも暫く黙って歩いていたが美奈が切り出した。

「今日は本当にごめんなさい。でもコップが倒れたり蕎麦汁をひっくり返したのも訳があるんです。岸川さん、突然こんなこと言って頭のおかしい女だと思わないで聞いて欲しいんですがあなたの直ぐ側にいつも女の人がいるんです」

「えっ、どう言う意味ですか?」

「髪は肩ぐらいまで……身長はそうね、私ぐらいかしら。後、頬にほくろが一つ、白いタンクトップの上に白いサマーセーターを着てます……さっきから私のことをじっと見ています」

 岸川の表情が凍り付いている。

「心当たりがありそうね」

「美奈さんは霊が見えるのですか?」

「ええ、子供の頃からずっと。霊が見えると言うと殆どの人は私を気味悪がったり頭がおかしいと思ったりして……そのうち誰にも言わなくなりましたが…それで彼女はどなたですか?」

「半年前に交通事故で亡くなった僕の恋人です。今回も両親が余りに僕が苦しんでいるのを見て結婚でもさせれば落ち着くだろうと僕に無理矢理見合いを押し付けて来たのです」

「そうですか。多分、彼女はあなたへの想いが強くて成仏できないのしょう。本人も死んだことに気付いていないのかも知れません」

「彼女は何か言っていますか?」

「いえ、私には見えるだけで彼女の気持ちまで分りません。でも私をじっと見ています。私にあなたを取られると思っているのじゃないかしら?」

「どうすればいいんですか?」

「一度ちゃんと浄霊できる方に会われた方がいいかも知れませんね。いんちきな人も多いので私がご紹介します。ちょっと心当たりがありますから……それからこのお見合いは破談にしませんか?このまま私とあなたがお付き合いしたらお互いに災いが起こるかも知れませんから」

「そうですか。僕は夕起がいつも側にいてくれるならそれもいいかなと思いますが、他の人まで巻き込むなら浄霊した方がいいんでしょうね」

「ええ、その方がいいと思います。それじゃ、この縁談は私の方で叔母に断っておきますから」

 そう言っても岸川に憑いている霊は消えることはなく美奈を睨み続けていた。

 同じホテルの三階の洋風の間で盛大な結婚披露宴が行われている。

 入り口には「萩原伊藤御両家披露宴会場」と書かれた案内看板が立っている。

 萩原は両親は他界して妹も行方が知れず、親戚付き合いもなく招待する者が誰もいなかった。仕方なく伊藤が地方の売れない劇団員を十人程雇い親族らしく取り繕った。仲人の紹介では萩原は大学中退が大学卒業になっており、東洋商事には島根の支社で十年程前から勤務していることになっていた。そう詐称しろと伊藤に全て指図された。またそれが妹のためだと。嘘で塗り固められた披露宴だった。

 それに比べ伊藤家の招待客は政財界の蒼々たる面々が集まった。万里子の履歴は非の打ち所のないものだった。有名女子高、有名大学英文科卒業。高校時代、県のピアノコンクールで優勝。英検一級、茶道、華道免許皆伝その他ありとあらゆる資格と免許を持っていた。

 万里子がお色直しで席を外している間、電報が読み上げられて行った。萩原宛に送られて来た電報の何本かも偽りの物だった。最後に読まれた電報に萩原は心臓が止まりそうになった。

 

 オメデトウゴザイマス。スエナガクオシアワセニ。ツユコ

─なぜ露子が今日のこの挙式を知っているのだ?

 露子が今にも正面の扉から現れて出て来るのではないかと気が気ではなかった。乗り込んで暴れるような女ではないことは分かっていたが、萩原は罪悪感からか怯えていた。司会者を新郎の席から手招きして呼んだ。

「すみませんが、ツユコと言う方の電報を持って来てくれませんか?どちらのツユコさんか分らないからないものですから…」

 司会者がすぐに祝電全てを持って来てくれたがツユコと書かれた電報はないと言う。

「でもさっきツユコと言う名前で電文を読みましたよね」

「いえ、そのような方の祝電を呼んだ憶えはありません」

 司会者は困り果てた顔をしていた。

「いや、あなたさっき読んだじゃないですか?」

 司会者の持って来た祝電を奪い取って捜したがどこにも露子からの電報は見当たらなかった。お色直しから戻った万里子は必死に電報を捲って見ている萩原を訝しんでいた。

「どうしたの?何かあったの?」

「いや、何でもない」

─あのはっきり聞こえた電文は幻聴だったのか。

「じゃもっと嬉しそうな顔をしなさい!私の結婚式をぶち壊したらただじゃ済まないわよ!」

丹阿弥清次

1955年生まれ。広告デザイン会社退社後、デザイン会社を起業して三十数年。卓球歴は大学以来40年の空白状態。還暦前に再挑戦。しかし奮闘努力の甲斐もなく今日も涙のボールが落ちる。

※批判的なコメントはご容赦願います。