絶滅危惧種:霊長目ヒト科グラフィックデザイナー

絶滅危惧種:霊長目ヒト科グラフィックデザイナー

2021年6月8日
閑話

1970年後半に広告営業マンとして丸の内の小さな広告代理店に勤務。80年頃からグラフィックデザイナーとして新宿の某プロダクションに勤務。当時、新宿で石を投げるとカメラマンかデザイナーに当たると言われていました。それから5年後、西麻布のプロダクションに転職。原宿駅の連絡通路で始めて「マッキントッシュ」の広告ポスターを目にした記憶が鮮明に残っております。一見なんの広告か分かりませんでした。実際にパーソナルコンピューターを拝見したのはそれから1年後。六本木の交差点近くの画材屋です。80年後半まで価格も高く性能も粗末で実用には程遠く、手作業の方が効率的でした。スキャナーも当時3パス方式とやらで一枚の画像をスキャンするのに30分ぐらい掛かったと思います。雑誌の写真をコピーしてカッターナイフで切り抜けば30分で仕事が終わります。

1980年 25歳頃 新宿某デザイン制作会社にて まだパソコンもなく定規と鉛筆を持ち、松田優作に憧れ、パーマを掛け、ブーツを履いて作業しています。

B全のプレゼンボードを制作するために写植屋さんでキャッチコピーやボディコピーの文字を打ってもらいます。それをモノクロコピー機で拡大して実際に使用する大きさにします。プレゼンボードに貼る絵はカンプライターという絵の上手な人にパステルとマーカーで書いてもらいます。またカンプ用にと断ってカメラマン(主に物撮りですが)に撮影してもらう時もあります。ここでカメラマンにフィルムを現像してもらい、B全用に大きくプリントアウトしてもらう事もあります。原寸で使用する文字をクロマキーと言う転写シート(マーブルチョコの中の鉄腕アトムのマジックプリントみたいなもの。古過ぎて説明になっていない😓)にしてもらい、絵の上に貼り合わせます。

これだけの人が関わったのですから制作費もそれなりに掛かり、スタッフは皆潤いました。自分の手掛ける仕事で世の中が廻っていると実感しました。B全のプレゼンボードを2枚制作して100万円程請求した覚えがあります。当たり前の価格でした。

今日では写植屋さん、カラーキー制作会社、カンプライター、カメラマン、現像所の仕事がパソコンのおかげでなくなりました。さらに印刷入稿するための原稿を制作する版下制作会社、イラストレーター等も仕事がなくなってしまいました。印刷会社も激減しました。最近ではイラストレーターやカメラマンはイラストAC、写真AC、Adobe Stock等のWebサイトのおかげで致命的です。

90年代後半になるとパソコンも手の届く価格になり、アナログからデジタルの作業に移行し、パソコンがあっという間に普及しました。最先端機器により職を失い、田舎に帰った方も大勢いらっしゃいました。しかしまだ私はパソコンで仕事しようとは思いませんでした。なぜならワープロさえ操作できないのです。どうしてあんなにキーボードのボタン(キー)が必要なのだろう?もう少し減らせないものか?電気屋で並ぶワープロを見て常々疑問に思っていました。触るのも恐怖です。

当初は外注のデザイナーに依頼していましたが「これはこのソフトではできない。それは無理。」と返事がいつも否定的な言い訳。仕方がないので千葉の田舎から東京築地まで通勤時間約2時間弱。この時間を利用してマニュアル本を買い込み、勉強致しました。イラストレーター、フォトショップは勿論。クォークエクスプレス、ページメーカー、シェード、ドリームウィバー、インデザイン、プレミア、パワーポイント等等。一つでも多くのソフトを操作できる様になれば、利益を生む可能性が高くなります。そして若いデザイナーたちは労力を惜しんで私に「できない」と言えなくなりました😤。

ご冥福をお祈り致します

しかしこの頃は雑誌の仕事もなくなり、干上がるだろうと心配していましたが、運良く携帯会社の総合カタログの仕事が舞い込んで来ました。毎日、深夜作業が続き、お酒を飲む時間もない程でした。(それでも飲んでましたが)カタログの表紙は毎号、今は亡き田村正和氏でした。ご本人には一度もお会いした事はなく、写真は某大手広告会社から支給されておりました。数年後、新橋演舞場で田村正和氏主演の「乾いて候」を観劇する機会がありました。叔母さまたちの熱狂振りが強烈でした。

カタログの入稿は完全デジタル入稿です。他社がもっと低価格でできると名乗りを上げたため仕事を持って行かれました。数カ月でその会社は余りにも割が合わないという理由で降板したそうです。(できもしないくせに調子のいい事を言うな!)

あれから20年が経ち、66歳のオヤジは未だに現役デザイナーです。いつまで続けられるのか分かりません。若い(?)40代のデザイナー達は行成りパソコンの前で作業し始めます。私は相変わらず紙の上で3B、4Bの鉛筆を持ってゴシゴシとラフを起こします。手を動かしているとアイデアが生まれたり、デザインが頭の中で整理できたりとメリットが沢山あります。中々生まれないアイデアを捻り出すにも紙の上で考える作業が近道になります。モニターの中でデザインを揉んで行くのは遠回りで無駄が多く、デザイナーに具体的なイメージがなければ完成度の低いデザインになってしまいます。「デザイン」=「design」=「考える」です。デザインはレイアウトでもなくオペレートでもありません。「考えなければいけない」のです😠。「最初はアナログ、後はデジタル」であればパソコンも素晴らしい道具になります。

紙の上で頭の中をまとめるこの古いやり方しかできない二流デザイナー。(三流でなく二流ぐらいにさせてください。)私の世代はアナログとデジタルの作業を経験できて、幸せだったと思います。現代ではモニターの中で頭をまとめることができるデザイナーが当たり前になって、佐藤可士和のようなスタイリッシュなデザインを生み出しているのかもしれません。次々と新しいノウハウが時代とともに生まれ、昭和のオヤジの価値観が消えて行くのです。只、私にとってはパソコンはあくまでもカッターナイフや定規に過ぎないと信じております。こんな考えのグラフィックデザイナーはもうこの世の中から次第に絶滅してしまうのでしょうが。

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丹阿弥清次

1955年生まれ。広告デザイン会社退社後、デザイン会社を起業して三十数年。卓球歴は大学以来40年の空白状態。還暦前に再挑戦。しかし奮闘努力の甲斐もなく今日も涙のボールが落ちる。

※批判的なコメントはご容赦願います。