紫陽花が濡れそぼる頃 20(オヤジの小説・全33話)

紫陽花が濡れそぼる頃 20(オヤジの小説・全33話)

2021年5月8日
小説

 夕飯は咲知の手料理がテーブルに並べられた。挽肉の卵とじ、牛乳と野菜のスープ、胡瓜の糠漬け、炊きたての豆ご飯。旨さと暖かさで涙が出そうになった。食事の後、二人で洗い物を片付け終わると咲知が「一緒にお風呂に入ろう」と言う。咲知の体を正視できるか不安な気持ちと気恥ずかしさが入り乱れていた。拒めば咲知を傷つけるかもしれないし自分の愛も本物ではないように思えた。

 咲知はさっさと浴室に入って行き、数分後「いらっしゃい」と浴室から咲知の声がした。咲知に椅子に座るように言われ大人しく従うと後ろから湯桶でお湯を掛けられ咲知の掌が優しく小河原の体を撫で付けている。「はい、入って」と浴槽に浸かるように促された。その後から咲知も浴槽に入って来た。その時、咲知の男性の証が小河原の目の前に晒された。小河原は目を丸くしてそれを見入ってしまった。まだ数少ない営みの最中、小河原が咲知の下半身に手を伸ばそうとすると決まって咲知はその手を拒んだ。触られることも見られることも嫌がっていたが、今、咲知は隠そうともせず全身を曝け出した。女性にしか見えなかった咲知がやはり男性だと言う事実を突き付けられた気がした。それでも髪を後ろに束ね湯に浸かってしまうと上半身は透き通る程白く女性そのものだった。

「ごめんね。驚いた?……これが私よ。私の全部を見て欲しかったの」

 咲知は小河原の表情を探るように見つめている。

「ああ、ちょっと驚いた。でも咲知を愛している気持ちは変わらないよ」

 動揺を必死で隠しながら言った。小河原の持ち物とさして変わらぬ大きさの物が備わっていた。肉体は男性だが精神は女性そのものだと理解していたつもりだが実際に目の当たりにすると戸惑っている自分がいた。

「本当にそう思ってる?でもこれであなたに隠していることは何もないわ。私のことを嫌いになっても別に構わないわ」

 咲知は自分の全てを理解してもらうために勇気を振り絞って小河原に披露したのだろう。そして勘のいい咲知は小河原の気持ちを察しているに違いない──。戸惑う気持ちが純粋な愛を穢しているようで小河原は咲知に罪悪感を感じていた。

「嫌いになんかならないよ。私は咲知の全てを受け入れるよ」

 小河原は自分の迷いを追い払うように弁明した。

「ありがとう。あなたって優しいのね……でも今気が付いたんだけど、あなたの肌ってとても綺麗なのね」

 今度は咲知が小河原の肌を見て感心している。明るい場所でお互いの体を見合うのは初めてのことだった。

「もしかしたらあなた化粧映えするかもね。うちのお店のオネエさんたちよりずっと肌が綺麗なんだもの」咲知の言うことを苦笑いしてその時は受け流していた。

 月曜日の始業時間に課に電話して今日は遅刻すると伝えた。十六年間の出勤で初めての遅刻だった。次にコンサルティング会社の社員の名刺に記載されている携帯番号に連絡して会社の会議室で午後一時に会う約束をした。社内に着いても営業部に顔を出さずそのまま会議室に向かった。ドアをノックして入室するともうそこにはコンサルティング会社の社員が座っていた。小河原から本題に入った。

「先日のお話ですがお受け致します」

「そうですか」

 少し驚いたような表情をしていた。もう少しごねるとでも思っていたのか──。

「それで早期退職なら退職金を多目に払って頂けると仰っていましたが、その辺を詳しくお聞きしたいのですが……」

「はい……」その社員はファイルを捲って目を通していた。暫く間があって、

「小河原さんは入社されてから十六年ですね。この年数ですと退職金は百万程ですね」

「その退職金が早期退職だとどれだけ手厚く支払われるんですか?」

「そうですね。まあせいぜいプラス二十万という所ですね」

 十六年間勤め、退職金が総額百二十万。これが高いか低いかは分からなかったが、このご時世、退職金が出るだけでもありがたかった。

「分かりました。それで結構です」頭を下げながら言った。

「そうですか……それでは有給休暇が残っていますので正式に退職される日にちは来月末になります。まあそれまで引き継ぎや残務整理を片付けておいてください」

「もう一つお聞きしたいんですが再就職の斡旋はして頂けるんですか?」

「ま、まあ……何かいい情報があったらお知らせします。余り期待しないでください」

 放り出した後は関知せずと言う方針なのだろう──。

「それから最後にお聞きしたいのですが、私の他にも誰かリストラの候補に上がっているんですか?」

「それは個人情報ですから誰とは言えませんが……いますよ」

「そうですか」この会社がリストラに踏み切るのは初めてでやはり全体的に業績が悪化しているのだろうと思った。小河原は前日に用意しておいた退職願いを若い男の前において深々と一礼した。僅か二、三分の面談だった。

 気が進まなかったが営業部に顔を出すことにした。最後に営業部長に挨拶しようと部長の席に早足で近寄ると一瞬部長の顔が怯んだ。これまで世話になった謝意を述べ深々とお辞儀をした。小河原が退職の挨拶に来るのを事前に知っているような様子だった。部長は目を逸らして「まあ、頑張って。それから君の後任はまだ決まってないが取り敢えず課長補佐の鈴木君に仕事の引き継ぎをしておいてくれ」と事務的な言葉が返って来た。それから四十代半ばの課長補佐に過去の請求書、見積書等経理関係のデータ、仕掛け中の業務内容等の説明を一時間程で済ませた。仕事の引き継ぎは後を継ぐ社員にどう説明しても理解できるものではないと思った。担当してから初めてその社員は真剣に取り組むものだ。課長補佐の鈴木も他人の仕事を背負うのが面倒臭そうで小河原の説明を渋々訊いていた。

 翌日は丸一日、小河原は鈴木を連れ小河原の担当した得意先に引き継ぎの挨拶に廻った。帰社途中の電車の中で日頃から会話の少なかった鈴木が言い辛そうに小河原に話し掛けた。

「小河原さん、色々大変でしたね」

 多分、鈴木は咲知の一件、離婚、退職のことを言っているのだろう──。

「まあね。でも今、私は清々しているんだ」

「清々ですか?」課長補佐は意外だという顔をしている。

「そう」

「でも奥さんと離婚して会社も退職するんですよね?それで平気なんですか?」

「平気ではないけど何とかなるでしょう」

「ナマポにでもなるおつもりですか?」

「ナマポ?…ああ、生活保護者ですか?……まだ五十だから働きますよ」

 鈴木は小河原が何を言っても納得していないようだった。数ヶ月前までは自分の言葉が自分でも理解できなかっただろう──。

 夕方に社に戻り身の周りの私物を小さな段ボールの中に入れた。十六年も在籍したが私物の量は僅かなものだった。

 小さな段ボールを小脇に抱え同じ課の社員たちに「それじゃ、みんな元気で」と言い野村と勝木の二人には「プレゼン、頑張ってください」と付け加えた。しかし皆ばつが悪そうでただ小河原が立ち去るのを黙って見ていた。

 給料は翌月末まで支払われ二ヶ月分の給料八十万と退職金百二十万を合わせて二百万円程の入金がある。その給料も退職金も由起に支払う慰謝料に当てようと思った。この先いつ就職できるか分からないし、少しでも一ヶ月分の負担を減らしたかった。全てを失って五十歳から再出発するとは思わなかったが、背負うものが少なくなったせいか気持ちが軽くなっていた。明日からハローワークへ職探しに行こうと思った。

 自分の甘い考えに打ちのめされた。広告業界やホワイトカラーを求職している訳ではない。清掃員、警備員さえ五十以上の中年には求人枠が少なく殆どが三十五までの年齢制限に引っ掛かった。それでもやっと見つけた条件の合った求人先の面接に行ってみるとたった一人の求人に五十人ぐらいの求職者が集まっていた。面接を受けても売り込みの下手な小河原には不採用の通知が届くばかりだった。

 日本の現失業率は約五パーセントと欧米諸国より低い数字だが日本の失業率とは完全失業率のことで欧米とは計算法が異なるようだ。日本の場合、就職する意思があり、仕事があれば直ぐに働くことができる体力もあるがそれでも働けない人たちの割合を示す。それに比べて欧米は就労の意思がなく自ら進んで職に就かない人も失業率に含まれている。日本が欧米の計算方法に合わせると失業率は十パーセント近い数字に迫るようだ。欧米人と勤勉な日本人の労働意欲の差は歴然としている。それでも日本の失業率が低くならないのは就職環境が余程深刻なのかもしれない。

 そして小河原は失業保険金を過去一度も受給したことがない。三度の転職の際も休職期間がないようにできる限り早く職に就いた。それが国のため家族のため、そして自分の誇りのためだと思っていた。失業保険は本当に職がなくて困窮している人たちのためにある、生活保護は本当に生活に困っている人たちのためにある、そう思っていた。サラリーマンとして能力があるとは思わないが真面目にコツコツ生きて来た自信はある。体が動くうちは何とか自力で生きて行きたいと思った。これで生活保護者になってしまえば本当のダメ親父になってしまう気がした。

 咲知がまだ寝ているベッドから抜け出て巣鴨のハローワークへ毎日通うのが日課になっていた。小河原の職が決まらず少しずつ気が沈んで行くのを咲知が気付かない筈はなかった。午前中からハローワークに出掛け、それから夕方までどこで時間を潰しているのか、咲知は心配だった。それでも咲知は何も口出しすることなくただ黙って小河原を見守っていた。

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丹阿弥清次

1955年生まれ。広告デザイン会社退社後、デザイン会社を起業して三十数年。卓球歴は大学以来40年の空白状態。還暦前に再挑戦。しかし奮闘努力の甲斐もなく今日も涙のボールが落ちる。

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