紫陽花が濡れそぼる頃 19(オヤジの小説・全33話)

紫陽花が濡れそぼる頃 19(オヤジの小説・全33話)

2021年4月19日
小説

 二人は正午近く同時に目覚めた。久しぶりにお互い熟睡できた。咲知がベッドから抜け出そうとするのを小河原は彼女の腕を取って引き寄せた。小河原は咲知を横たえ被いかぶさり唇を重ねた。咲知との肉体関係はいつも淡白で単純なものだった。お互いに無理な強要はしなかったし子供のような稚拙な愛撫だけで終わることも多かった。小河原も咲知もゲイのような性行為には興味がなかった。小河原は咲知の側にいるだけでも癒されていた。

 咲知がカーテンを開けるとフローリングのフロアに窓の四角い形で象られた光が差し込んで来た。彼女が洗面所へ消えて暫くすると洗濯機のモーターと水の回転する音、湯沸かしポットから湯気の吹き出す音が聞こえて来た。

 キッチンから戻って来ると小河原は咲知に「今日は僕が作るよ」と言った。昨夜買って来たスパゲティの食材を冷蔵庫から取り出し調理に取り掛かった。清瀬の自宅の食事は調理することもなくただビニールの封を切ってそのまま食べられるもの、お湯を掛けて数分経てば口に入れられるものばかりだった。小河原は電子レンジで暖めることもなく、冷えた家庭で冷めた物を食すのが自分に相応しいと自虐的な思いで食生活を送っていた。舌の感覚もなくただ胃の中に何かを入れれば良かった。食事を楽しむ、味わう、そんな気持ちは毛頭なかった。それが今では咲知との穏やかな生活が小河原に暖かな食事を饗してくれている。心の余裕がスパイスとなって「美味しい」と感じられるようになった。全て咲知のおかげだ。咲知となら一生添い遂げられると思った。もし許されるなら結婚してもいいとさえ思った。

 日本では同性愛者の結婚は未だ許されていないが性同一性障害特例法により性同一性障害者は条件を満たせば結婚ができるようになった。性適合手術を受け完全な男性もしくは女性の外見になれば戸籍上性別の変更が認められ結婚が許される。しかし性同一性障害者と診断されれば性適合手術を受けずとも戸籍訂正も結婚も認められるべきだと思うのだが法務省はそんな判断はできないようだ。一例を上げると男性器が付いたままのMTF(男性から女性に性別を移行する人)が女湯に入ると公序良俗に反し世の中に混乱を来たし兼ねないと言う理由で法的に認められないと言うのである。施術していない性同一性障害者は温泉、トイレ、女性専用車両、刑務所等、日本中の至る所でパニックを引き起こすと考えられている。

 また性適合手術で戸籍を男性に変えた女性がある女性と結婚して夫になり、その女性は婚姻後、第三者から精子の提供を受け男児を出産し、夫は出生届を提出したが「嫡出子」とは認められなかった事例がある。こう言った場合、一旦、妻と精子を提供した男性との間の子として届け出た後で養子縁組をすれば「嫡出子」と認められる。しかし役所は通常の夫婦間の場合、本当の子供でなくても「嫡出子」として受理していることが多い。これは民法772条は「妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する」(嫡出推定)と規定しているため通常の夫婦間の場合、夫の精子で生まれて来た子供でなくとも虚偽だと見抜けないから受理されるのである。性同一性障害だから受理しないのは余りに不公平ではないかとこの夫は裁判所に不服を申し立てたが裁判所は「明確な基準が定まらないと対応は難しい」と法改正には至らず現在棚上げされたままだ。まだまだ性同一性障害者に対する法整備は完璧だとは言い難いのである。

 スパゲッティを拵えるのに一時間も掛かった。手際が良ければ三十分で仕上がるのだろうが小河原は今まで台所に立って料理をしたことがなかった。それでも鼻歌まじりで楽しんで調理できた。咲知の携帯の着信音がして誰かと親しそうに会話している。小さなテーブルの上にバジリコのスパゲッティ、サラダとコンソメスープとフランスパンを添えて暖かな食事が始まった。咲知が「美味しい」と言ってくれたが小河原の自己評価はまあまあだった。急に味覚が敏感になった気がした。あの暗いダイニングで一人寂しく食べていた時、何も味が分からず味覚障害になってしまったかと思い込んでいた。小河原は軽い調子で切り出した。

「誰からの電話だったの?」

「妹からよ」少し寂しそうに咲知が答えた。

「妹さんがいるんだ?」小河原は少し意外だった。兄弟がいるとは今まで訊いたことがなかったからだ。

「ええ、久美って言う二十五歳の妹が福岡で父と一緒に暮らしているわ。たまに私がどうしているのか心配で連絡して来るの。兄想いの妹よ」

 兄なのか姉なのか不思議な気がした。

「妹さんは福岡で何をしてるの?」

「銀行に勤めてるわ。その銀行の人と付き合っていてそろそろ結婚するみたい……妹には幸せになって欲しい」

「そう。あなたも妹想いだね。妹さんは幸せだよ」

「そんなことないわ。妹にも父にも私がこんなだから肩身の狭い思いをさせてる」

 咲知は家族のことになると時々見せる悲しい顔をして言葉を失っていた。

「ところで私は会社を辞めようと思ってるんだ」

 思い切って小河原は自分の決意を口にした。

「そう」咲知は小河原に問い詰めるでもなくただ軽く頷いた。

「それから妻から別れてくれと言われてる。で、別れようと思う」

「そう……それでこれからどうするの?」咲知が尋ねた。

「まだ、何も考えてないんだ」

「そう……」

 小河原のこれまでの人生は咲知に比べれば普通過ぎて恵まれているのが良く分かる。小河原の苦労なんて咲知に取ったら些細な悩みに過ぎないのだろう──。兎に角、早く就職しなければならない。離婚と退職は手続きさえ踏めば問題なく終わる筈だ。しかしこの歳では再就職できるか小河原は自信がなかった。

 陽が傾き始めた頃、商店街に二人して出掛けた。天気のよい土曜日は相変わらず高齢者たちで賑わっていた。小河原は下着と安物の普段着を数着買い、咲知は小河原にプレゼントと言ってスリッパやタオルなど雑貨類を数点買った。小河原の隠し財産は日増しに少なくなり、この上職まで失ったのだからこのままでは資金は間もなく底を突く。弁護士の話しでは来月から毎月十五万ずつ妻の口座に振り込まなければならない。無職の小河原に十五万の仕送りは重くのしかかる。再就職の道は厳しいが職種の選り好みをしなければ何とか職にあり付けるだろうと思った。

 咲知が思い付いたようにあじさい祭りに行きたいと言う。地下鉄三田線で二つ先の白山駅の近くにある神社で毎年あじさい祭りが催されているらしい。咲知と地下鉄に乗って白山駅に着いた。駅の出口から来場者の列が続く二百メートルぐらいの細い道の先に大きな鳥居と白山神社と彫られた石碑が見えた。小さなレストランや住居に挟まれた細い坂道を上って鳥居をくぐるとその境内の中に古い本殿があり三千株程の色とりどりの紫陽花が至る所に咲き誇っていた。多少汗ばむ程の暑さでかき氷屋の露天の前は家族連れが長い列をなしていた。子供も大人も紫や水色のかき氷を頬張っていた。咲知と本殿の前に立って参拝を済ませた後、境内をぐるっと廻って色とりどりに咲き誇る紫陽花を鑑賞した。

「綺麗ね」咲知は素直に感動している。

「うん、綺麗だね」

「福岡の実家にも紫陽花が沢山咲いてたの」

 咲知は遠くを見るような目をして言った。

「へえ、それで紫陽花が好きなんだ。ところで紫陽花の花言葉って何?」

「移り気。高慢。いい意味もあるのよ。辛抱強い愛情」

「良く知ってるね」

「でしょ。それにあの花弁に見える所は実は萼なのよ。花弁はこの丸い粒。女に見えるけど実は男。私みたいでしょ」

「咲知さんは正真正銘、女性だよ」

「ありがとう。でもね、紫陽花は綺麗だけど毒があるの。食べると死んじゃうこともあるのよ」

「毒がある所は似てるね」

「言うよね〜」どこかで聞いたようなイントネーションだった。

 咲知が公園に続く石段の数歩先を行って手招きしている。紫陽花の前でツーショットを撮ろうと言い出した。咲知は自分の携帯を寄り添う二人の顔の前に差し出しシャッターを切った。撮れた画面を小河原に見せた。それは中性的な娘と疲れた親爺の不釣り合いなカップルの写真だったが二人とも幸せそうに見えた。

 咲知曰く、毎年ミニコンサートや猿回しなど下町らしい催しが開かれるらしい。今日は最終日のようでイベントも終わり露天商も片付け始めていた。町内会の老輩たちがテントを解体してパイプの金属音が境内に鳴り響いていた。

 花屋が出店している露天では紫陽花の鉢が売られていた。その前に足を止め咲知が青い紫陽花をじっと見ていると若い店員が「綺麗なお姉さん、もう終わりだから半額にしておくよ」と咲知に声を掛けた。閉店間際で鉢はもう三、四個しか残っていなかったが、咲知は店員の言葉に気を良くしてか「じゃ、これちょうだい」と言って二千円の鉢を千円で買った。ビニール袋に入った紫陽花を手渡されて満足そうに顔を綻ばせていた。

「マンションのベランダに飾りましょう。紫陽花は丈夫なのよ。枯れると惨めだけどちゃんと手入れすれば毎年、花が咲くのよ」

 夏至に近い六月の中旬は六時になってもまだ雲の切れ間から西日が射して二人の影が長く伸びていた。小河原は初めて咲知と会社の近くのテラスでビールを飲んだ時も綺麗な夕日が咲知の横顔を照らしていたのを思い出した。あの頃はまだ咲知とこんな関係になるとは予想もせず今は不思議な気がした。咲知の化粧気のない素顔は妖艶さは薄れているものの肌質がきめ細かくまるで白磁のように輝いて清楚な雰囲気を漂わせていた。どことなく宝塚の男役で有名だった女優に似ていることに気が付いた。小河原は咲知の横顔を盗み見ては頬が緩んだ。そして咲知と一緒ならこの先何とかなるだろうと思った。

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丹阿弥清次

1955年生まれ。広告デザイン会社退社後、デザイン会社を起業して三十数年。卓球歴は大学以来40年の空白状態。還暦前に再挑戦。しかし奮闘努力の甲斐もなく今日も涙のボールが落ちる。

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