シネマパラダイス in 熊本

シネマパラダイス in 熊本

閑話

懐古的なお話しをします。お若い方は意味不明ですので面白くありません。ご容赦願います。

先日、amazon primeで小林旭主演の映画「ギターを持った渡り鳥」(日活1954年作品)をパソコンで観賞致しました。60年振りに拝見致しました。ストーリーは単純ですが、昔を懐かしがりながら最後まで見ることができました。

映画好きが高じて、亡父は福岡の小倉で映画館を始めましたが、その映画館も数年後、経営難に陥り閉館。それが私が生まれた昭和30年のことです。

それでも父は諦めきれず熊本でまた映画館を開業します。客席もキーキー鳴る様な古い映画館でしたが、二番館(封切館の次に新作の映画を上映する映画館)ではなく封切り(封を切る、新しいフィルム缶を開ける)で日活をメインに、東宝、松竹のフィルムを上映していました。私は幼稚園中退ですから、毎日いえ1日中、小林旭の映画を見ておりました。

開業当時は日活ニューフェイスの黄金時代でした。石原裕次郎、小林旭、宍戸錠、和田浩二、二谷英明、赤木圭一郎と錚々たる顔ぶれが連なっていました。(因みに日活ニューフェイスとは日活の公募による新人俳優の事で、石原裕次郎は水の江滝子に発掘された俳優なのでニューフェイスの一員ではありません)石原祐次郎の映画を上映すると、娯楽が少ないせいか田舎にも関わらず、外には毎回200人ぐらいの行列ができたそうです。

しかし順調な経営は長く続きません。昭和35年頃から、日本は映画に代わってテレビが急速に普及し始め、日本の映画産業は斜陽化に向かうのです。従業員が次第に少なくなり、父の借金は嵩んでいった様です。しかしそんなこととはつゆ知らず当時5歳の私は、客の入りが悪い時、座席で売店のお菓子を頂きながら大きなスクリーンで映画が観賞できて幸せでした。狭くて薄暗い映写室は私には秘密の隠れ家。映写技師たちと野球盤ゲーム(昭和33年エポック社から発売)をしたり、映写室の小窓から覗く映画は格別でした。まさにシネマパラダイスです。

住居は釣具屋の2階を間借りしていました。土間のある1階には竹の釣り竿がたくさん並んでいて、釣り糸や浮きなどの小物が並んでいました。

家の前には氷川という名の川がありました。川幅が広く、透明度が高く、美しい川でした。夏は毎日の様に近所の友だちと泳ぎました。夜になると無数の蛍が飛び交います。橋の上から眺めると、両岸の蛍の群れが上流まで続いて、まるで天の川の様に白く光っていました。

(下の写真は熊本の釣具屋の前の川の畔です。左の写真はまだ川の水嵩があります。松の木の枝振りが見事です。道もまだ舗装されていません。田舎の風景も気付かぬうちに少しずつ変化しています。)

熊本の宮野原に住んで2年が経ち、遂に父は隣町にある映画の経営を諦めます。

小学校にもやっと慣れはじめ、まもなく1学期が終わる頃、 まだ夜も空けぬ時間に母は寝ている私を起こして、これから旅に出ると言います。これが夜逃げならず、朝逃げだったのです。

古いモノクロ写真は下記の無料アプリからカラー化しました。興味のある方はお試しください。

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丹阿弥清次

1955年生まれ。広告デザイン会社退社後、デザイン会社を起業して三十数年。卓球歴は大学以来40年の空白状態。還暦前に再挑戦。しかし奮闘努力の甲斐もなく今日も涙のボールが落ちる。

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