愛しのスティーヴィー・レイ・ヴォーン様(没後30周年)

愛しのスティーヴィー・レイ・ヴォーン様(没後30周年)

2020年8月27日
閑話

1990年8月27日、ギタリスト、スティーヴィー・レイ・ヴォーン氏(以下SRV氏)は35歳の若さで亡くなりました。今日で没後30年になります。

彼の生年月日は1955年10月。私が1955年2月と同年輩でした。私の娘が現在30歳でちょうどSRV氏が亡くなった年に生まれました。もし彼が生きていれば64歳になっています。

もし彼がまだ生きていたら、どんな曲が生まれ、どんな衝撃的なギタープレイをしたでしょうか?こんな想像をした人達が世界中で何人いるでしょうか?

ミュージシャンでありがちなコカインと酒でこの世を去るのではないかと周りが危惧する中、保養所に入院し、アルコール中毒者更正会に入会し、彼は見事にクリーンな体になり復活しました。

1991年8月27日のウィスコンシン州アルパイン・ヴァレーで行なわれた「エリッククラプトンと彼のバンドの夕べ」に2日間出演し、SRV氏はクラプトンも絶賛するほどのジャムセッションをこなし、コンサートは無事終了しました。

彼は他の出演者やクルーに「早く帰りたいからヘリの席を譲ってくれ」と頼み、最初に離陸するヘリに乗り込みました。恋人ジェンナに一刻も早く会いたいという理由でした。離陸直後にヘリは墜落しました。ドラッグや酒でなく女性が原因で亡くなろうとは。クラプトンやロバート・クレイは後のヘリに乗ったため運良く助かりましたが、クラプトンのクルーはSRV氏と共に亡くなっています。クラプトンが自らを「サバイバー(生存者)」と呼ぶのはこの事故も一因かと思います。

私は生粋のSRV氏のファンではなく、死後、彼の存在を知りました。まだYouTubeなんてものがない90年代にビデオテープで彼のプレイを見て、衝撃を受けました。

荒々しく、繊細に、魂を揺さぶる様なブルースの旋律。バンドはSRV氏のギターとベースとドラムのみ。「他に誰もいらない。主役は俺だ!」と言わんばかり。また彼は常々「別の肌色を持ちたい」と語っており、彼の唯一の後悔は黒人に生まれなかったことでした。

スローなブルースを弾く時はペグの間に挟んでいる煙草の煙が燻って、ネックは煙草の焦げ跡が付いていました。ギターなんか大事にしていない様に思えますが、ギターに裂け目が入ると酷いショックを受け、目に涙を溜める様な性格でした。

私は彼に触発され、隣町のギター教室に4年ほど通いました。小さなスタジオの中で先生にマンツーマン指導を受けました。ブルースの練習曲を3年程続け、「そろそろ何か本格的な曲を弾きましょう。何か希望はありますか?」と先生に聞かれ、おこがましくも「スティーヴィー・レイ・ヴォーン」と答えました。先生から「SCUTTLE BUTTIN’」と「PRIDE AND JOY」の譜面を頂いた時は感動したのを今でも忘れられません。SRV氏になり切るため1弦を0.13から始めて、太い弦で弾こうとSRV仕様にしました。ところが弦が固過ぎて指がフレットに付きません。力を入れて弾こうとすると指が痛い。すぐに元の弦に戻しました。

2000年の頃、私は仕事と私生活の面でも忙しくなり、ギター教室も通えなくなりました。不規則な生活が祟り、血糖値が上昇。遂には脳梗塞で入院。後遺症で指も思う様に動かず、以降ギターに触るのも恐ろしく、テレキャスが埃を被っています。ギターを止め、卓球を始め、今ではラケットフリークになろうとしています。それでもあの頃、熱中したSRV氏が懐かしく、たまに昔のCDを車の中で聴いています。

アルバート・キング、アルバート・コリンズ、デビット・ボーイ、ジミ・ヘンドリックス、その他大勢の先立たれたギタリストやミュージシャン達とスティーヴィー・レイ・ヴォーン氏は今もあの世でジャムっていることでしょう。

今宵、彼のアルバムを聴きながら献杯!

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丹阿弥清次

1955年生まれ。広告デザイン会社退社後、デザイン会社を起業して三十数年。卓球歴は大学以来40年の空白状態。還暦前に再挑戦。しかし奮闘努力の甲斐もなく今日も涙のボールが落ちる。

※批判的なコメントはご容赦願います。