嗚呼、昭和のロゴマークよ。

嗚呼、昭和のロゴマークよ。

2021年3月11日
閑話

築地のマンションの一室を借りて少ない社員を雇い入れ、事務所を経営していた頃は、広告代理店、広告制作会社、企業の広報課、宣伝部等、広告に関わっている方達と仕事をして参りました。しかし理解力の乏しいスポンサー、やる気の無い代理店の営業マン、悲しいセンスのデザイナーの方もまた沢山いらっしゃいました。

さらにこの方達と酒、金、女性が絡んできますから、苦労は絶えません。都会の業界人たちは魑魅魍魎です。妖怪エロギツネ、妖怪フルダヌキ、妖怪ウワバミオヤジ、私をシモベにして銀座の街を百鬼夜行します。こちらも顧客であれば有益な情報を得るため座れば10万は下らない高級クラブにご案内致します。

「〇〇さん、二週間後の競合プレゼンではどの様な広告をお望みですか?」

「……まあ、ここだけの話ですけどね、お笑い芸人を使う案なんかいいねと言う意見が出てるんですよ。」

─ふふふ…😏これで勝ったも同然だな。

2軒目はカラオケのあるクラブへ。そして気持ちよく唄っていただき、今宵の総額は15万円。帰りのタクシー代を包む時もあります。

こうして広告業界も銀座の街も潤うのでありました。

「東北◯社」は私の事務所の目と鼻の先でした。総務省との接待など当たり前の事でしょう。7万円、そんな金、端金です。

7万円のステーキと海鮮料理、こんな食事をしただけで辞任しなければならないのかと思うと同情します。こちとらオールド、いいちこをミネラルウォーターか水道水で割って飲み、柿の種、キスチョコ、どこの店も代わり映えしないおつまみに手を伸ばし、思いやりの無い無知蒙昧なホステスとお喋りして10万〜20万。

2013年に事務所を畳み、築地を引き上げ、2015年頃に地元の折り込み広告を見て応募。早速外注スタッフとして起用されるも、出来高制で都会の制作費の50分の1。さらに私のギャラはその半分。中国人より安い制作料。

およそ50本のチラシ、名刺、ロゴ等を制作して請求できた金額が7万円。うう…。ステーキ、海鮮料理で、7万円は使い過ぎ!辞任は当たり前でしょう😤。

それでも2〜3年は耐え忍んで、この会社にお仕え致しました。そしてその会社の正社員の方が退職して代わりに常駐で勤務して欲しいと依頼され、それ以降、毎月人並みの賃金を固定のギャラで頂く様になりました。まあ、いくら働いても固定ですが…。

しかし相変わらずこの会社の制作費は、安く設定されており正に薄利多売、自転車操業です。社員達は黙々と働いています。

トップの画像のロゴは広告デザイン会の重鎮、亀倉雄策氏がデザインされたロゴです。(かめくら ゆうさく、1915年4月6日 – 1997年5月11日)は、日本のグラフィックデザイナー。日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)初代会長。)

この方を私達と同世代のデザイナーは神の様に崇めておりました。どのロゴもシンプルでユニーク、しかも印象強く一度見たら頭に残るロゴです。

これらのロゴは昭和の時代に作られ、当時の制作方法もアナログな作り方でした。まず方眼紙に鉛筆でラフスケッチを何案も描き、100案ぐらい提出した事もあります。少しずつ絞って行って、その中から3案程をロットリング社の製図用のインクペンで定規を使いながら、描き起こします。ロゴの太さを変更したり、バリエーションを作るとなるとまた一から描き起こします。納品するまで試行錯誤の連続でした。これほどの時間を割くのですからそれなりの請求額になってしまいます😄。

近年、すべてのデザイナーはパソコンでロゴを制作します。大きさ、太さの変更も自由自在です。歪みや縦横の変形、カラーバリエーションも短時間で完成します。余り頭を使わなくても、パソコンを適当に弄っていたらそれなりに作れてしまいます。

業界の人に比べ、田舎の客はほぼ素人同然なので、自分でもどんなロゴを作れば良いのか分からない客が多いです。でも明確な意図はなくても、一端のディレクター気取りで発注して来ます。「美しく」「クールに」「エキセントリックに」「スタイリッシュに」「暖かみのある」「見た事の無い」「何が何だか分からない」「判読できない」この様なロゴが欲しいと要望して来ます。何のこっちゃ?😭

初回、6〜8案、ご提案致します。色付きで完成度は高く、そのまま使用できます。たまに初回だから「ざっくり」作ってくれればいいよ。」と仰る客がいますが、パソコンで作ると「ざっくり」作ろうとしても作れません。

初回のデータを見た客は

「もう少し違う案も見てみたい。」

「家族に聞いたら、こんなロゴじゃ駄目だと言われた。」

「なんかしっくりこない」

「うちは建設会社だからどっしりしたロゴがいいと注文したが、もう少し柔らかい雰囲気がいい。」

結果、修正が10回程になり、納品まで数カ月掛かることもあります。それで制作料が格安ですからいくら固定のギャラが支払われていようとテンション下がります、モチベーション下がります。(業界人なので英語を使います😚。私の嫌いな言葉、ベクトル、ヒエラルキー。セグメンテーション。コピーライター、営業マン、分かって使ってんのかい?)

そして続々と押し寄せて来る発注に従い、低レベルのロゴを粗製濫造してしまった私。亀倉先生のロゴには足下にも及びません。

元々、ロゴマーク、ロゴタイプは新聞、テレビ、看板などアナログの媒体に使用されるため色はモノクロ、単色のものが好まれ、他社と見分けを付けるためロゴの形そのものをシンプルかつユニークにする必要がありました。パソコンの出現でグラデーション、ぼかし、シャドウ、3Dなど思いのまま。使用する媒体もチラシや名刺だけで、どんなにカラフルで複雑なロゴでも印刷できます。しかし必死で頭を捻って考えますが、どこかで見た様なロゴができてしまいます。

オリンピックロゴマークの盗用で問題になったデザイナーもいましたが、私は余り責める気になれません。私も既存のロゴを参考にして制作する事もあります。ただ彼の場合、パクリの度合いが強過ぎた様です。また沢山のロゴを作り過ぎてしまうと、以前自分で作ったロゴも忘れ、同じ様なロゴを作ってしまうことがあります。

以下、私が初回に提案したロゴの一部をまとめたものです。このロゴ達はさらに客の無茶な注文によって修正を重ね、変貌して行くのです。

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丹阿弥清次

1955年生まれ。広告デザイン会社退社後、デザイン会社を起業して三十数年。卓球歴は大学以来40年の空白状態。還暦前に再挑戦。しかし奮闘努力の甲斐もなく今日も涙のボールが落ちる。

※批判的なコメントはご容赦願います。