家飲みばかりで空の瓶(銀座クラブよ、永遠に。)

家飲みばかりで空の瓶(銀座クラブよ、永遠に。)

2020年11月15日

15年程前の夜の銀座の小ネタです。

「媚薬」

新橋駅ビルの鄙びたフロアの3階にアダルトショップがあり、その店に種々雑多な媚薬がショーケースに陳列されていました。夜の遊びもマンネリ化しているので、今夜はこの中の一瓶を購入して、クラブに繰り出そうと計画致しました。ショーケースの中の媚薬の小瓶はかなり高価で、一本2万も3万もします。奮発して3万円のガラナエキス配合と表示されている小瓶を怪し気な店員にショーケースから取り出してもらい、勘定を済ませ、いそいそとクラブに一番乗りで入店致しました。ボックスシートに5人程のホステスが席に付き、客もまだいないからもうハーレム状態。ホステス達が各自の水割りを作り、乾杯しようとするのを制して、小瓶を取り出し、「これ、惚れ薬だけど試してみる」と尋ねると全員興味津々。このホステス達に一斉に惚れられたら、どうしようと多少の不安がよぎるも、一同「かんぱーい!」

それから数分経って、皆お互いの変化を観察し合うも、効果なし。そりゃそうだよ。そんな上手く行く訳はないよね、と思いながら、「あたし、薬が効いたらどうしようかなって思っちゃった。彼氏いるし〜。」とか興じ合って、和やかな一時が流れるのでした。そこに新たに席に付いたホステスにポケットの中の白仁丹を取り出して、「これ媚薬だけど、飲んでみる?」と聞くと「うん、飲む。」と即答。廻りのホステス達も薄ら笑いをしながら、彼女を観察。1、2分もすると信じられない変化が。何だかそわそわし始めて、「体が熱い、何か変。」と私が冗談だと釈明する間もなく、お店を早退致しました。マネージャーが後から私の所にやって来て、「何があったの?」マジに質問。「さあ〜?」

後日、そのホステスには丁重に謝りました。「早退して、何してたの?彼氏の家に直行?」と質問しましたが、返答なく真実は定かではありませんでした。この辺でこの媚薬についてのお話しはオシマイに致しますが、この媚薬の小瓶は暫く色々なお店に彷徨うことになるのです。

「元ヤンホステス」

横浜の高校で番を張り、レディースの族長まで務めたホステスと気が合い仲良くなりました(友達として)。でも機嫌が良いときは楽しい会話も弾みますが、一度怒り出すと誰もがビビります。愛車ポルシェにも同乗させて頂いたこともあります。私の事務所は築地ですぐ近くなので、元レディースのドライビングテクニックを味わうことなく無事帰還できました。彼女は良く路駐でサイドミラーにワッパを掛けられる様で、その度に後のトランクに忍ばせている60センチぐらいのワイヤーカッターで切断する様です。逮捕されたことがないのでしょうか?

彼女の務めるお店で良く罰ゲームを致しました。出前で取った寿司の中に一つ、大量のワサビを仕込み、ゲームに負ければどれか一つを選んで食べなければいけません。当時のバラエティー番組で良く流されていた罰ゲームです。何回かホステス達が寿司をつまむ度に「セーフ!」と興奮しています。元ヤンホステスの番になり、お口にお寿司を放り込むと、眼光が鋭く怒りの表情が浮かんでいます。廻りのホステスはそれを察知して、戦いています。私も怯えました。元ヤンホステスはトイレに直行。寿司を吐き出したのではなく、怒りを鎮めに席を離れたのです。戻ると、他のホステス達から「大丈夫ですか?」「お水頼みますか?」と気を遣っています。元ヤンホステス、「大丈夫、うん、大丈夫。えっ、怒ってないよ」そう取り繕う程、廻りのホステスはビビっています。

この方も今では自分のお店を持ち、ママになったと風の便りで知りました。開店早々、世の中コロナになり少々同情しております。「同情するなら、店に来い!」と言われそうです。

今年予定だった高校の同窓会、大学の同窓会、仕事仲間との定例の親睦会、すべてが中止になりました。皆、中高年の域ですからコロナに感染すると重症患者になるのを恐れて自重しています。コロナが終息したらまた会おうねと約束しています。たまに外飲みがあれば、毎日家飲みすることなく、酒瓶も並ぶこともなかったのですが、今では1ヶ月1度のガラス瓶の回収日には10本以上の酒瓶を出す様になっています。つまみも最近はカロリーを気にしてコンビニの「こだわりのあたりめ(1袋 70kcal)」、「カリカリ梅(1袋65g 22kcal)」、「韓国海苔(10枚 9kcal)」が定番。外飲みより健康的です。しかも安上がり。

10年前築地に事務所があった頃、歩けば10分で並木通りに到着。座れば一人10万円。二人だと割安で12万円程(たった一晩、数時間で)。今思えば10万円でディグニクスが10枚買えます(ディグニクス使ったことないけど)。今使用しているラバーなら30枚近く買えます。私の価値観はとっくの昔に変わっています。だからと言って別に後悔していません。芸の肥やしになっているのですから。(何の芸?)

因にゲイでもオカマでもありませんが、7年程前の記念の一枚を公開します。CGでの修正はしておりません。女装専門店で撮影したものです。綺麗でしょ?

丹阿弥清次

1955年生まれ。広告デザイン会社退社後、デザイン会社を起業して三十数年。卓球歴は大学以来40年の空白状態。還暦前に再挑戦。しかし奮闘努力の甲斐もなく今日も涙のボールが落ちる。

※批判的なコメントはご容赦願います。