映画「七人の侍」

映画「七人の侍」

2020年9月6日

「七人の侍」は昭和29年4月26日に封切られました。3時間27分の超大作です。制作費、撮影日数を大幅に書き換え、日本映画そのものを大きく変革しました。当の黒澤明監督も莫大な製作費を使ったため、客の入りを心配したそうです。

下の左の写真は私の亡き父で、当時福岡の小倉で映画館を営んでおりました。自分の経営する映画館で「七人の侍」を上映できて誇らし気です。右の写真は映画のスナップ写真を覗き込んでいる観客達です。かなり前評判が良かったことが伺えます。タイトルの上の写真は看板絵師です。アーティストというよりペンキ屋に近い職人でした。

私が「七人の侍」を最初に観賞したのは「荒野の七人」を映画館で見た後でした。しかもどちらもリバイバルです。確か、「七人の侍」は二十歳の頃、今から四十五年前、高田の馬場の「パール座」という映画館だった様な気がします。

以来何度、この映画をビデオ、DVDで観たことやら。観る度にこの作品への憧憬の念が強くなっています。橋本忍氏との緻密な脚本づくり、多くの史実を活用したリアリティー、こだわり尽くしたロケ地とセッティング、考え抜いた俳優のキャスティング、日本映画最高の作品と思います。

最近の映画は脚本の練りが足りないというより、脚本がそもそも存在しないのではないかと疑ってしまいます。北野武のような脚本のない映画を見ると、どこが賞賛されているのか理解できません。

アメリカの東宝映画館で「七人〜」が上映された後、それまで日本人を「ジャップ!ジャップ!」と見下していたアメリカ人が「日本人は素晴らしい」と涙ながらに館主の手を取り賞賛したというエピソードを何かの本で読んだ覚えがあります。

また今般の作品はCG技術に頼り過ぎで、作品そのものが薄っぺらくなっています。黒澤映画はすべてアナログでした。弓矢の矢の中にテグスを通して役者に実際に矢を射るなど現代ではあり得ないトリックです。

黒澤監督とはリアリティーを追求し、嘘を作りながら、嘘を愛し、嘘っぽさを嫌う監督だと思います。

「七人の侍」をリメイクしたハリウッド映画「荒野の七人」はそれなりにヒットした映画の様ですが、黒澤作品とは比べようもなく、作品に厚みのない映画でした。ユル・ブリンナー、スティーブ・マックイーンと好きな俳優でしたが、登場人物のキャラが生かされていません。「七人〜」では劇中と本人のキャラクターを最大限に生かして、スクリーンの中で一人一人が生き生きと動き回っています。これほど多くの登場人物が絡み合い、それぞれが織りなすハーモニーは絶妙です。唯一無二の作品だと思います。

我が父の蔵書の中に黒澤監督に関係する本が多数あり、わたくしはまだ読み切れておりません。生涯をかけて拝読する所存です。

数日前、久しぶりに棚にある「七人の侍」のDVDを観賞致しました。本編の中でまた新しいことに気付き、また感動してしまいます。

観賞後、Wikiで黒澤監督を調べたところ、偶然にも9月6日、命日と知りこのブログで一筆したためた次第です。

黒澤監督は今日、23回忌を迎えます。亡父は来年13回忌になります。SRV氏と命日の話しが続いてしまいました。合掌、礼拝。


丹阿弥清次

1955年生まれ。広告デザイン会社退社後、デザイン会社を起業して三十数年。卓球歴は大学以来40年の空白状態。還暦前に再挑戦。しかし奮闘努力の甲斐もなく今日も涙のボールが落ちる。

※批判的なコメントはご容赦願います。