向い風 8 (オヤジの小説・全9話)

向い風 8 (オヤジの小説・全9話)

 そして一年もあっという間に過ぎて行った。会社も退職してしまった。そしてちょうどこの頃、ヨット仲間から夏海が結婚したと聞かされた。相手は同じ職場で働いている四十過ぎの男性らしい。さすがに気持ちが沈んだ。その日は酒を飲んで荒れた。気が付くと全てがなくなっていた。仕事も家庭も愛人も子供もヨットも。何も残っていなかった。

 ある日、携帯が久しぶりに鳴った。娘の塔子からだった。懐かしい声だった。
「お父さん、どうしてるの?」
「いや、元気だよ」精一杯元気な声を出した。
「まだ愛人と暮らしてるの?」
「いや、追い出されてね。今は一人で茅ヶ崎のアパート暮らしだよ」
 急に声が萎んで行った。
「だったら、自分の家に戻ってくればいいじゃないの!」
 今度は塔子が呆れた声で叱責する。
「お母さんがそんなこと、許す訳ないじゃないか。父さんは自分から出て行ったんだぞ」
 力なく答える。
「お父さん、何言ってるのよ。お母さんが別れてくれって言った訳じゃないでしょ?お母さんは裁判所なんかでお父さんと争いたくないのよ!お母さんはお父さんに戻って来て欲しいのよ。そんなことも分かんないの!」
 塔子の声が涙声に変っていた。
「ああ、でもなあ…今更、帰り辛いよ…」
「お母さん、凄く寂しがってるよ。たまにお母さんの様子を見に行くけど、凄い痩せちゃって…ご飯もちゃんと食べてないんだよ。このままじゃお母さん、病気になっちゃうよ。お父さん、お願いだから、帰ってあげて…」
「少し考えさせてくれ。頼む」
「お父さ…」通話中に携帯を切った。これ以上、娘と話すのが辛かった。多佳子が帰って来て欲しいと言ってる。本当だろうか──?
 
 仕事がなければ自分さえ食べて行けない。職を探した。広告関係の仕事は六十歳で求人している所はどこにもなかった。ハローワークでも求人情報誌でもせいぜい三十五歳までだった。業界の仕事に就くのはもう止めようと思った。こうなればタクシードライバーにでもなるか──。元々ヨット同様、車を運転するのも好きだった。神奈川の地図には詳しい。海図にまで詳しいドライバーは中々いないだろう。拾う客しだいで目的地が決まる。気ままで風まかせのヨットのようだ。

 普通二種免許ぐらい一ヶ月で取れるだろう。以前は運転免許試験場でしかと取得できなかったが、今は公認自動車学校に行けば楽に二種免許が取れる。思い立ったら吉日。直ぐにアパートの近くの自動車学校へ申し込みに行った。翌日から教習を受け、必死に勉強して学科も実技もパスし、何とか二週間で免許を取得できた。
 教習所の事務室の掲示板にタクシードライバー募集のビラが貼られていた。アパート近くのタクシー会社で、これなら交通費も掛からなくて都合がいいだろうと、早速電話して面接のアポを取った。翌日、履歴書と運転免許証を持って面接に出掛けた。採用はその日に決まり、隔日勤務で十二時から明け方の六時までの一日十八時間乗務を選んだ。

 最初の一ヶ月、かなり体に応えたが、次第に生活のパターンにも慣れ、自分はタクシードライバーが天職ではないかとさえ思った。GPSが付いていたが殆ど機械には頼らず目的地まで辿り着くことができた。元々、車の運転が好きだし土地勘もある。神奈川のロケーションはほぼ頭の中に入っている。遠距離で全く知らない土地でも勘が働いて案外迷わずに着いてしまう。二ヶ月もすると客と雑談する余裕もできた。しかし予想はしていたが、いい客ばかりではない。絡む客。泥酔して起きない客。車内で行為に耽るカップル。嘔吐する客。ヤクザ&チンピラ。数え上げたら切りがない。客だけでなく質の悪いタクシードライバーも多い。たまに口の悪い運転手と話をしているといつも客に怒っている。これでは自分から客に喧嘩を売っているようなものだろう。客が嫌いだとそれは態度に表れる。タクシードライバーはヨットと違って客商売だということだ。山村は業界のディレクターだった自尊心も捨て、自然と客に頭を下げられるようになっていた。
 
 正午前に出勤すると日傘をさした女性が事務所の前に立っていた。娘の塔子だった。少し疲れた顔をしていた。
「何でここに勤めてるって分かったんだ?」
「お母さんがご近所の人の噂を聞いたみたい……お父さんがタクシーの運転手をしてるのを見たって……茅ヶ崎のタクシー会社ってここしかないから……それでここに電話してお父さんの名前を言ったらここで働いていますって教えてくれたわ」
「……それで今日は何の用だ?」
「お母さん、具合が悪くって寝込んでる。とにかく今すぐ帰って来て!」
 怒気の含んだ声になっている。
「しかし……」
「お父さん、お母さんが死んじゃったらどうするの?!」
「……分かった……でも今から仕事だ。明日の朝、何とか帰るよ」
「必ず帰って来てよ!」
 これ以上、一人で暮らして行く意味もないだろう。友人にもそろそろ自宅に帰ったらどうかと説得されてもいた。夏海の夫にも美帆の父親にもなってやれなかった。多佳子にもいい亭主ではなかった。塔子にもこうして辛い想いをさせている。ここが引き返す潮目なのだろう──。朝早く山村は平塚の自宅に戻った。

丹阿弥清次

1955年生まれ。広告デザイン会社退社後、デザイン会社を起業して三十数年。卓球歴は大学以来40年の空白状態。還暦前に再挑戦。しかし奮闘努力の甲斐もなく今日も涙のボールが落ちる。

※批判的なコメントはご容赦願います。