向い風 6 (オヤジの小説・全9話)

向い風 6 (オヤジの小説・全9話)

2020年7月19日

 夏海は美帆が成長するにつれ不安になって行ったのだろう。いつまで経っても多佳子と離婚できない山村に焦れ始めていた。早く美帆のためにも戸籍上、正式な家族にして欲しいと山村に催促した。山村は伸ばし伸ばしにしていた多佳子との離婚手続きを進めようと重い腰を上げた。
 山村は友人から紹介してもらった弁護士に離婚の相談をした。相談された弁護士は苦虫を潰していた。本来、浮気した相手方を訴えるのが筋だが、浮気した本人が相手方に離婚を要求した場合、認められるのは難しいだろうと話している。しかも多佳子が離婚には絶対に応じないと主張しているのだからなおさら難しいと。とりあえず弁護士から家庭裁判所に手続きしてもらい離婚調停することになった。
 申し立て後、一ヶ月程立つと横浜の家庭裁判所から呼び出し状が届いた。平日だったので会社を休まなければならなかった。横浜の家庭裁判所に着くと事務員に控え室に行くように指示され、そこで暫く待っていると山村の名前が呼ばれて調停室に案内された。調停室と呼ばれる小さな部屋に入るとテーブルを挟んで男女二人の調停委員との話し合いが始まった。山村の申し立て事由はまず自分が不貞を犯してしまったこと、夫婦関係が完全に破綻していること、別居していることを挙げた。三十分も言い分を話していると次は裁判官と調停員が別室に行って多佳子の言い分を聞く。そんな風に進められ合計二時間ぐらいが費やされた。多佳子はどうしても離婚したくないと主張しているようだった。最後に自分の番になった時、調停員は多佳子に同情するように山村を責めた。
「ご主人、奥さん、泣いてましたよ」
 妻に対する罪悪感がまた蘇って来た。しかし家を出てからもう四年が経つ。今更、多佳子との結婚生活に戻れる訳がない。夏海と美帆のためにも引き返すことはできない。だから何としても離婚しなければならないのだが、多佳子が離婚に同意しない限り家庭裁判所での離婚調停は成立しない。離婚調停は、あくまで多佳子の合意が前提となるのだ。調停は次回に持ち越されることになった。次回の日程を決めると調停員に慰謝料の額を考えておくようにと指示された。

「どうなってるの?」夏海が怪訝な顔をしている。
「だから家内と話してるよ」
「ちょっと待って」手のひらを山村に向けて会話を遮った。
 夏海は居間のソファで遊んでいた美帆に自分の部屋で遊ぶように優しく言い聞かせている。美帆に聞かせたくなかったのだろう。美帆が部屋に入って行くのを見届けてから夏海が再びきつい口調で詰め寄る。
「いつになったら奥さんと別れられるのよ?」
「だから今それを話し合ってるんじゃないか!」
「そんなこと言ってもうあなたと付き合い始めて六年も経つのよ。美帆ももう四歳になるわ。美帆を認知してくれたってこれじゃシンングルマザーと変らないじゃない?」
「分かってるよ。だからもう少し待ってくれって!」
「待ってくれ、待ってくれって、一体いつまで待てばいいのよ?……奥さんはあなたと別れる気があるの?」
「それは、だから、説得してるよ」
「説得してるって何年説得してるのよ。あなたの奥さんは意地でもわたしとあなたを一緒にさせたくないのよ」
「大丈夫だって…もう少しで何とかなるよ。頼むからもう少し待ってくれ」
 夏海は黙って考え込んでいる。この諍いから何か夏海と山村との関係に亀裂が入ったような気がした。二人の沈黙の中、近くの海岸の波の音だけが聞こえている。

 二回目の離婚調停の日が訪れた。今回は何としてでも離婚を成立させたかった。支払える慰謝料の額は三百万が限度だった。また三十分おきに裁判官と調停員が交互に言い分を聞く。多佳子は三百万では少なすぎる、山村に一千百万、夏海に対して二百万を要求して来た。調停員も多佳子の要求額は妥当だと言う。とても払える額ではなかった。多佳子は頑としてこれ以下の金額では譲歩しなかった。多佳子も山村には到底払える筈はないと踏んでいた。二回目の離婚調停も失敗に終わった。このままでは裁判になってしまうのだろうか──。泥沼劇は何としてでも避けたかった。

 重い足どりで夏海のマンションに帰る。山村の暗い顔を見ただけで夏海は察したようだった。美帆はまだ幼稚園でこれから夏海が迎えに行くのだという。
「ねえ、どうするつもり?このままじゃ美帆が可哀想じゃない」
「……分かってるよ。もう少し待ってくれよ」
「待ってくれ?もうその言葉、聞き飽きたわ」
「次の離婚調停で何とかするよ」
「いーえ、もう待てないわ。奥さんとちゃんと別れるまでこのマンションにはもう来ないで!」
「おい、ちょっと待ってくれよ!」
「待てない!今すぐ出て行って!」取りつく島がなかった。
 ここに来た時のトランクを引っ張り出してまた自分の洋服と日用品を詰め込んだ。夏海の見送りもなく一人暗い気持ちでマンションを後にした。とりあえず近くのビジネスホテルに一泊して、翌日、アパートを探すことにした。
 夏海と美帆から余り遠くには離れたくなかった。茅ヶ崎の六畳一間、風呂付きの古いアパートに暮らすことにした。家賃は月六万だ。多佳子のいる自宅が平塚で、夏海が辻堂で、山村はその中間の茅ヶ崎に住めば何かと都合がいいと思った。
 移り住んで初日で寂しくなった。美帆に会いたかった。自分の人生は何だったのだろう?五十三歳で夏海と知り合い、五十五歳で美帆が産まれた。三人で四年の年月を辻堂で暮らした。そして今、五十九歳でどこにも行く当てがなく一人になってしまった。こんな人生を思い描いたつもりはない。もっと幸せになる予定だった。どこで狂ってしまったのか──?山村は何もない六畳の畳の上に腰を下ろした。

丹阿弥清次

1955年生まれ。広告デザイン会社退社後、デザイン会社を起業して三十数年。卓球歴は大学以来40年の空白状態。還暦前に再挑戦。しかし奮闘努力の甲斐もなく今日も涙のボールが落ちる。

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