向い風 1  (オヤジの小説・全9話)

向い風 1 (オヤジの小説・全9話)

趣味で10年ほど前にしたためたものです。
この物語は真実に基づいています。

 山村航一 某広告代理店制作部長 五十三歳

 西南西の風。風速五メートル。快晴。六ノットの早さで三十フィートのテティス号は波を切って走る。海面はうねりもなく宝石のように煌めいている。四月の柔な風が山村の体を吹き抜ける。マストトップの風見鶏を見上げると数羽のカモメが舞っている。
 今日はマリーナから猿島、観音崎灯台そして浦賀水道航路の第一号灯浮標、さらにそこから一六〇度の方角に進路を取って千葉の鋸南保田の漁港に向かう。距離十九マイル、所要時間約五時間。
 セールをコントロールする。舵を取る。地球の自然の力を利用して船は走る。エンジンは付いているが、シートと帆を使って後は風まかせだ。日頃のストレスもプレッシャーも潮風に当たると薄らいで来る。絡まった頭の神経が解けて行く。右舷から吹く風を確実に捕らえてテティス号は水面を滑るように走る。タッキングを繰り返し、南下して行く。
 漁港には夕方四時頃に着岸できた。アンカーを下し、もやいロープを使って桟橋に船を繋ぎ係留を済ませた。漁協の事務所で係留料を支払い、近くの食堂で瓶ビール一本と鯵フライ定食を注文して舌鼓を打つ。
 山村はここ十年程、神奈川のヨットクラブの役員を勤めていた。先月もクラブ主催のヨットレースが開催され、三十艇がレースに参加して、表彰式とパーティも盛況のうち幕を閉じた。ここ三ヶ月間、レースの準備に追われ精も根も使い果たしてしまった。今日は一人で息抜きにセーリングをしている。
 山村は一人で帆走するのがヨットの基本だと考えている。クルーを従え操舵すると却ってストレスを抱えることが多かった。ヨットマンはセーリングのスキルもノウハウも人それぞれで、考え方も違う。だがそれを押し付ける強引なヨットマンも多かった。そして一人なら時間の融通が利く。複数のクルーと乗船すれば彼らのスケジュールも考えなければならない。それぞれ自分の都合を言う。今日は日帰りがいい、日曜の昼までには帰りたいと…。一人なら出港するのも帰港するのも自分の好きな時間にできる。ヨットは気ままな風に吹かれて、人は気ままに船を操るのが一番心地いいのだ。
 
 翌日は朝からヨットの上で釣りを楽しんだ。釣果はヒイラギが十匹程。この魚は脂が乗って結構旨い。キャビンで早速調理する。半分を刺身に、残りを唐揚げにしてビール片手にコクピットで食す。自然の恵みだ。
 三時前に出港して帰港したのはすっかり夜の帳も下り、マリーナ内の施設の照明も消えていた。桟橋の外灯が優しくテティス号を向かい入れてくれた。メインセールとジブを降ろし、エンジンに切り替えてゆっくりと着岸した。船を繋いだ後、ハムとチーズを切りワインの栓を抜いて一息付く。
 船上でアルコールを入れる機会が多いので殆どマリーナには電車で出掛けていた。平塚の駅から徒歩で十五分。そこに山村の自宅がある。
 門扉を開け、玄関のドアの鍵を開ける。部屋は暗く、人気がない。妻の多佳子はとっくに休んでいる時間だ。娘の塔子は嫁ぎ、息子の淳は東京で一人暮らしをしている。
 妻とはここ数年めっきり会話が少なくなってしまった。一言も口を利かない日も珍しくない。喧嘩したり笑い合ったりしたのはいつの日だったろう──?若い頃はあれ程愛していたつもりなのに、子供に手が掛からなくなり二人だけになると妻とのズレがいつの間にか大きくなっていた。
 居間に入ると妻の多佳子がソファに座ってテレビの韓流ドラマを見ていた。
「ただいま」と言うと「食事は?」と聞かれた。
「ヨットで済ませたよ」と答えると「あー、そう」と予想通りの答えが返って来た。
 出て行った息子の部屋が今では山村の書斎になっている。机の側の本棚にはヨット関係の本とスコッチウィスキーのシングルモルトが並んでいる。棚からその中の一本カリラの十八年物を取り出しストレートでグラスに注ぐ。一気に呷ると喉と胃に焼き付いた。二杯目をソファに座ってゆっくりと舐めるように味わう。妻とはいつの間にか寝室も別になり山村はこのソファで横になる。三杯目を空ける頃にアルコールが体を廻りまどろみ始めた。

 山村の勤める会社は神田お茶の水にある広告代理店だった。五十代の大台に乗った年、ディレクターとしての能力を買われ、この会社に入社した。もう勤め始めて三年が経つ。仕事はまだ若いものには負けないという自負がある。任される仕事も難なくこなし、企画力もデザインセンスもまだ衰えていないと思っている。休日は趣味のヨットで充実した時間を過ごす。仕事と余暇のスイッチの切り替えは自分でも見事だと思っている。   
 ファッションは六十年代に流行したアメリカントラディッショナルを未だに守っている。体型もヨットのおかげで若い頃から殆ど変わっていない。細身のスーツとスラックスをこの歳で着こなしているオヤジは少ないだろう。メタボの同年輩の社員が羨望の目で見る。若い女性社員から「そのスーツ、お似合いですね」とお世辞を言われるが、山村はまんざらお世辞でもないと思っている。しかし仕事も趣味も他人から見れば充実しているかに見えるが、それでも山村は虚しさを感じていた。何が原因かは自分でも分かっている。
 サラリーマン人生も先が見え始めている。子供たちも巣立って行った。妻との愛も薄れて行った。ヨットは今でも山村の心を癒してくれるが、その想いも若い頃と違ってベテランの域に達し、熱が冷め掛けている。最近は決まりきった生活を繰り返すだけの日々だ。かなりマンネリ化している。もっと心を熱くするものが欲しい、青春時代のあの激しい情熱をもう一度燃え上がらせたい、感動で打ち震えるような一瞬をもう一度味わいたい、そんな感情が激しく心の中で渦巻いていた。

 梅雨が空け、マリーナにも夏の風が陸に向かって吹き始めた。
 その夏のある日、目の前に海の女神が現れた。
 彼女は白いセーリングキャップ、白いポロシャツ、白いショートパンツ、白いデッキシューズ、肩からコバルトブルーのバッグを掛けていた。仲のいいクルーの一人、吉田がクラブの事務所に連れて来たのだった。
 彼女は物怖じしない笑顔で颯爽と山村に握手を求めて来た。
「初めまして。カトウナツミです」自信に満ちあふれ、どことなく日本人離れした社交性を感じた。それもそのはずだった。吉田の話によると、彼女は子供の頃から父親とヨットで遊び、高校生の頃は海外に留学していたらしい。若い頃はヨットに夢中だった父親も今は体力的な理由から自分のヨットを手放していた。彼女は久しぶりにヨットに乗りたくなったが、今更、小型船舶の免許を取る気も、またヨットスクールに入会する気もなく、それでも何とかセーリングできないかと父親に相談すると父親はこのマリーナの会員吉田を紹介したらしい。
 山村は何か事故でもあった時の用心のために出航届けの用紙に名前、年齢、現住所、電話番号、緊急連絡先等を記入してもらった。彼女の白く美しい指から「加藤夏海」と名前の欄に記されていた。
 夏の海。なつみ。夏の日に現れた海の女神。年齢の欄には「二十九歳」とある。娘の塔子と同じ年だった。五十三歳のオヤジが二十九歳の女性にときめいた。
 彼女の格好から直ぐに乗船したい気持ちが伝わって来る。
「どう?僕のヨットに乗って見るかい?」
 そう聞くと「ええ」と明るい返事が返って来た。夏海と吉田と三人でテティス号に乗り込んだ。エンジンをかけてデッドスローで離岸した。メインセールを揚げセーリングを開始。暫くして彼女にティラー(舵棒)を任せた。直ぐにビギナーでないことが分かった。彼女は生き生きした顔で小気味良くタイミングを合わせ当て舵を取っている。太陽に白いベストとショートパンツが反射して彼女の体の廻りがハレーションを起こしているように見えた。
 ああ、美しい。正に海の女神テティスだ──。

丹阿弥清次

1955年生まれ。広告デザイン会社退社後、デザイン会社を起業して三十数年。卓球歴は大学以来40年の空白状態。還暦前に再挑戦。しかし奮闘努力の甲斐もなく今日も涙のボールが落ちる。

※批判的なコメントはご容赦願います。